読者の数ほど意見がある 〜人としての在り方を考えさせられた本・3選〜
こんにちは
ことねです
印象に残っている本について今までも何度か触れて来ましたが
心に深く刺さっている、忘れさせてくれない本というものも存在していて
今日はそれらの本・3冊についてお話ししようと思います
答えの出せない問題
なぜこれからお話しする3冊が私の中で深く刺さっているかというと
試されているような感覚に陥るからです。
「あなたならどうする?」
「もしこの場に出くわしたのなら、あなたはどう動く?」
そう聞かれているような気がしてしまうのです。
そして、答えが出ない。
自分だったらどうする、ということ以前に「何をどうすることが正しかったのか」の答えが見つからないまま結末を迎える。
これは正解があるものなのかすらわかりません。
読者が増えれば増えるほど、それだけ意見や反論は生まれるはずです。
独紙なの数だけ感想や意見が生まれるということを、これほど実感させられた本はありませんでした。
今日はその3冊、ご紹介します。
心に深く刺さった本
手紙 東野圭吾
かなり有名な作品ですね。以前東野圭吾さんのオススメの本を紹介した時にもこの本を入れていましたが、初めて読んだときはかなり衝撃的でした。
犯罪者ではなく、犯罪者の家族の視点で描かれたこの話は苦しくてなんだか悔しかった記憶があります。犯罪者の家族というレッテルを貼られた男性を待ち受けているのは優しい人たちではなくレッテルで決めつけ遠ざかっていく。「この人が犯罪を犯したわけではないのに」と当時中学生だった私はそう周りの人々に対して怒りの感情を持っていましたが、「差別はね、当然なんだよ」という、とある人のセリフで、一気に怒りの感情が下がった記憶があります。
子供だった私には少し刺激の強い言葉だった。
そして、大人になった今、もし犯罪者の家族というレッテルを貼られた人間がいた場合、100%差別はしない、そう言い切ることができない。
十字架 重松清
いじめを苦にして少年が自宅の庭で首を吊って亡くなった。遺書には、「親友」と名前を書かれた少年が大人になるまでが描かれている。
クラスメイト、教員、マスコミ、遺族・・・。様々な人間たちの言葉や行動が心に残る。
親友と書かれた少年は、いじめを見て見ぬ振りをしていた。親友なんかじゃない。
自分が苦しんでいることを気づいていたにも関わらず無視をした人間をなぜ「親友」にしたのか。そしていじめられていた自分の子供に親友という小さな光があったことだけを心の拠り所にした家族。
自分が親だったら、何を言う。その答えは未だ分からない。
いじめはダメだ、そう言うことは簡単ではあるけれど。
世界地図の下書き 朝井リョウ
児童養護施設で暮らす子供たちを描いた本。
逃げてもいい。そんな言葉が印象的だった。親がいないというだけでいじめられるようになった子供に皆のお姉さん的存在の女の子は逃げてもいいんだよと言い切った。
辛かったら、苦しかったら、たとえ相手が本当の親であったとしても逃げていいんだよ、と。
この考えにたどり着くまでに、沢山の弟や妹たちの前で笑い続けるために、いろいろなものを背負ってきたことが感じられて苦しくなる。
「逃げた先にも、同じだけの希望があるはずだもん」
そのセリフが印象的な作品だった。
最後に
正解が分からないまま読了して、大人になった今でも答えは出せていない。
考えて考えて、ひたすら考えてもきっと答えは分からないのかもしれない。
ここに出てくる人物たちの未来が幸せであるように、そう願うことしかできない。
今も、きっとこれからも。
将来、自分の子供に読んで欲しいと思いながら、読まないで欲しいと心のどこかでは思っていたりする。
複雑だ。
今日はこの辺で。
ではまた。